久しぶりに自分の夢を整理してみる。
ブログやツイッターを色々巡っていたところ、株式会社はてなの近藤淳也社長のブログに行き着き、そこに書かれていた「2012年の抱負」3つの最後に「圧倒的にデザインを良くする」という項目が掲げられていたのを見て、久しぶりに、以前考えた「自分の夢」を思い出し、もう一度それを活字ではっきり整理してみたいと思った。
「思い出し」といっても、もちろん忘れていたわけではない。夢というのは扱いが難しいもので、自分の人生をかけて実現できたらいいなと思う「遠くの」ことだから、そればかり意識していても、今自分の目の前にある壁を乗り越えていくことはできない。目の前の問題に対処し、道を切り開くためには、もっとダウンサイズした直近の「目標」のほうが大事だ。かといって逆に目の前のことにとらわれてばかりでは、ふと立ち止まったときに「あれ、俺、今なんでこんなことやってるんだろう?」ということになりかねない。だから時々思い返して確認する程度がちょうどいいのだと思う。
死ぬまでに実現できたらいいなと思う自分の夢
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1.表現としての「デザイン」で、人を、社会を輝かせること。
2.思考としての「デザイン」を、空気のように社会に浸透させること。
この2つの使命を担って活動する組織をつくり、
ある一定の規模まで育て、永続する体制を整えること。
同じ理念を共有した組織を世界各地に展開させられれば、なお良し。
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さて、自分は新卒で入社した銀行を辞め(この間の経緯、気持ちの変化も大事だが今回は省略)、桑沢デザイン研究所というデザイン学校で学んだ結果、「デザイン」というものには大きく分けて2つの側面があると知った。
(1)「表現」としてのデザイン。
これは一般的に「デザイン」と聞いて連想される機能で、コンセプトやアイデアを考え、色や形を設計し、目に見えるモノとして形にすること、つくり出すこと。
(2)「思考」としてのデザイン。
デザイナーが(1)のデザインを行うときにとる特徴的な思考方法のことで、今のところ、個人的には以下の2つが挙げられると考えている。
①本質を求める姿勢
デザインをするときには必ず理由が必要になる。理由がなければ、デザインはできない。
なぜこの色なのか、なぜこの大きさなのか
といった具体的な仕様を決めるための理由はもちろんだが、実はそれ以前に、
なぜこれをつくる必要があるのか、なぜここにつくるのか
年賀状とは何か、神社とは何か、日本とは何か・・
といった根本的なことから入ることも多い。
こうした理由がないと自分自身としてもデザインを決められず、
仮に適当に決めたとしても今度はクライアントはじめ他者にそれを説明できないという問題が起こる。
デザイナーがよく「制約があったほうがやりやすい」というのは、
制約が自動的に理由をつくってくれるから。
このように常に「なぜ」を問うのが癖になると
・当たり前に思っていたけど実は無意味だったり効果的でなくなっていた事
・何も考えずにただ他の真似をしているだけの魅力的でない事
・短期的には利益になるけれども、長い目で見れば損失になる事
といった問題に気づきやすくなる。
そこからより意味があるアイデア、より魅力的なアイデア、より長期的な視野を持ったアイデアを発見していく。
②独創性を求める姿勢
アートと背中合わせの世界であり、「商業美術」と称されることもある世界だけに、他の人と同じような表現をしていてもデザインの世界では注目されないし、基本的にはあまり評価されない。それだけに、ある程度意識を持ったデザイナーであれば誰しも自分のオリジナリティーについて悩み、それを探し求めようとする。それを発見し、確立することができれば、その個性とうまくマッチするクライアントを得ることで「力強い表現ならあの人」「あたたかみのある表現ならあの人」と、強みを発揮する分野(マーケット)を獲得できるし、メディア等で繰り返し紹介されて認知が広まることで、安易な追随(真似)を許さなくなる。
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ここで言いたいことは、この(2)思考としてのデザインについては、何もデザインの世界に限らず、社会のあらゆる分野において実はとても有効な考え方であるということである。特に、「本質を見据え、長期的な視野で、独自性を求める」考え方は企業経営との親和性も高い。(また、言うまでもなく(1)の表現としてのデザインは、CIや個別の商品ブランドの構築において非常に重要な役割を果たす。)
このように実は重要な可能性や力を持っているものなのにもかかわらず、広く一般的な「デザイン」のイメージといえば、「飾り」や「オマケ」「お絵描き」といった認識が根強く、「デザイナー」というとテレビに出てくる派手な衣裳でファッションチェックをしている人を連想したり、何だかすごく感覚的で個性的で、まともに意思疎通がとれないような人たちをイメージしてしまう人が多いと思う。
そう思われているであろうということは、よく分かる。
なぜなら、自分自身がかつてそう思っていたから。
典型的なサラリーマンの家庭に育って、高校でも、大学でも、社会人になった23歳のときまで「(いわゆる)ビジネスパーソンとして生きていくんだ」と思っていて、周りも同じような志向を持つ人が多く、身近に芸術やデザインの仕事をしている人など皆無だったので、デザイナーといえばたまにテレビのワイドショーに出てくるちょっと変わった人、くらいの認識しかなかった(一般的にビジネスパーソンとしてキャリアをつくっていきたいと考えている多くの人にとって、デザインという世界はこれぐらい遠い存在なんだと思う)。
デッサンを習うために、初めて美術予備校なるところに足を踏み入れたときは、まるで未知の世界に飛び込むようでとても緊張したのを覚えている。その後、デザイン学校に入り、毎日通ううちにそんな緊張感もほぐれ、やがてデザイナーとして仕事を始め、常に「デザイン」という言葉を意識しながら生活する人生に変わった。
しかし、実は今でも、自分の体がどっぷりとこの世界の空気に漬かり切れていないのを感じている。常にどこか一歩引いたところで見ているような気がしたり、西新宿や丸の内のオフィス街をスーツ姿で歩いているときのほうがかえって落ち着いてしまう自分がいたりする。
小学生や中学生の頃からデザイナーを志していたり、少なくとも高校卒業後の進路として美術系を選択してきた人がほとんどのこの世界においては珍しい部類に入ると思うが、でもこんな自分だからこそ、デザインに対する一般的なイメージを変え、それが潜在的に持っている可能性をより広く社会で活かしてもらうためのきっかけづくりや仕組みづくりに貢献できるのではないかという気がする。
スタンフォードのdスクール、東大のiスクールをはじめ、大学教育で徐々に変化の兆しが現れつつある。
2006年には、デザインやストーリー、コンセプトメイクといったクリエイティブな思考や感性(+それを検証するロジカルな思考の両刀使い)が重要な価値を持つ時代が来ることを示唆したダニエル・ピンク著『ハイ・コンセプト』を、経営コンサルタントの大前研一氏が翻訳・刊行している。
また昨年発売されたSteve Jobsの伝記に、くどいぐらいに「デザイン」という文字が頻出するのを見て、何かを感じたビジネスパーソンも多いかもしれない。
冒頭のブログにおいて近藤氏は「デザインがこれからとても重要になると思います」「今まではてなのサービスは(中略)デザインは後からくっつけるものでした」「しかし、人が接するのはデザインです」「このサービスは何なのか?どう使って欲しいのか?という本質を、デザインで表現していく」という気づきと所感を述べている。
今の段階では、企業や官公庁の重要なポストにいる人たちは、まだ偏差値教育—すなわち国語算数理科社会の学科ができる人がもてはやされ、美術などは取るに足らない科目だ、という雰囲気の中で教育を受けてきた人たちが多いと思われるので、近藤氏のように考える人は少数派で(口では「デザイン、重要ですよね」と言っていても心の底からそう信じている人はまだ少ないだろう)、これが多数派になるにはまだしばらく時間がかかると思う。
しかしやがてそれが多数派になり、経営や行政の中心を担う人たちがデザインを常識として認識し、その力を活用することを当たり前のように考えるようになれば、オマケ程度に思われていた頃とは比べものにならないほど、デザイナーの側にもそうした分野の人たちと深くコミュニケーションをとる能力が求められるようになる。
まずは自分がそういう人間になり、その次に組織としてそういう要求に応えられるようにする—。
市場が成熟して独自性が求められる社会(企業)、あるいは発展途上で勢いのあまり視野が短期的になってしまう社会(企業)、あるいは衰退していて再生のための手がかりを探している社会(企業)——
貢献できる可能性のある部分は、たくさんある。
勉強しなければいけないことは山ほどあるが、何とかその可能性にチャレンジしたい。
ブログ
Blog、Twitter、facebook、Google+・・
数あるSNSをどう使い分ければいいかわからない人が多いだろう。
自分もその一人だが、facebookを使い始めて、やはりまとまった考えを書いてじっくり読んでもらうには別途Blogが必要だということがわかり、WordPressで開設することにした。
ここで投稿する記事はPrivateからBusinessまで、幅広いものになると思う。
もはや、その間に明確な境界線を引く時代でもない。
思ったこと、感じたこと、知ったこと。
どんなことでも書いてゆきます。